そうだ、鍛冶屋になろう。最終章:最後の仕上げ編

前回で熱処理まで終わりましたね。

あとは最後の仕上げを残すのみ。



まずは刃をつけましょう。

おおまかにグラインダーで削りだして、最後は砥石で仕上げます。

注意しておかないといけないのは、グラインダーで削ると熱が出るということ。

調子に乗ってガリガリ削っていると焼き戻し温度なんて簡単に超えてしまいます。

水の入ったバケツなんかを用意して、ちょっと削っては冷やし、ちょっと削っては冷やし。

なかなか根気の要る作業です。



砥石で削れる量なんてたかがしれてますから、グラインダーでほとんど刃を付けてしまうくらいの気持ちでガンガンいきましょう。

最後は砥石で仕上げて終わり。

面倒くさくなっちゃったので地は叩いたときのまま。

まぁこれはこれでこういうもんだということで。

刃先側のちょっと濃い色の部分がSUS440C鋼になります。

おぉ、なんかマンガ日本昔話に出てくる包丁みたいだ。





で、刃が付いたら柄とか鞘とかの細工も。

包丁の柄といえば朴の木というのが定番ですが。

手にしっくりとなじむという点では良いのですが、水に漬かりっぱなしの作業ナイフに朴の柄だとカビが生えちゃってもう。

ということで今回はヒノキ材を削ってボルト留めしました。




グリップエンドにはナットを溶接してあります。

で、そのナットにねじ込んであるのは船舶エンジンの冷却水路に使う防錆用の亜鉛の塊。

鉄と亜鉛を海水中で接触させておくと全体が電池の中身と同じようなことになりまして、亜鉛がどんどん減っていくかわりに鉄が錆びるのは防いでくれる、と。

ナイフに付けて効果があるのかどうかと言えば、まぁ気休め程度には錆止めしてくれるかな、というカンジ。

あと、この亜鉛塊には防錆以外にも「叩く」という目的がありますです。

僕らが切るロープというのはたいていフジツボなんかに埋もれていることになっています。

そのまま刃を入れると一発で刃こぼれ。

一回の作業で数十本切ることもありますし、それを考えると刃こぼれはできる限り避けたい。

で、まずこのグリップエンドの亜鉛塊でフジツボをガンガン叩き落してから刃を入れる、と。

この亜鉛塊を付けたいがためにグリップエンドまで地金を貫通させているわけです。

電気的に通じてないと錆止めにならないからね。






これで刃物本体は完成。

あとは鞘ですね。

普通は木工所で作ってもらうか、消防ホースを輪切りにしてケースを作るんですけど、これもまた水中に持って行く物だからしてやはりプラスティック系の材料で作りたい。

ポリエチレンの板をカッターで適当な寸法に切り出して、熱したはんだごてで溶かしながら仮付け。

それだけだと接合部が薄くて強度がないので端切れで肉を盛りながらヒートガンであぶります。

温度が低いだけでやりかたは鉄板のガス溶接と一緒。





これにて完成でございます。

かなり手抜きの感はありますが、まあそこはそれ。

正直使えれば見た目はどうでも良いと思ってるし。



あとは実際に使ってみて、だな。

いやぁ終わった終わった。









この、鉄を熱して叩くという和鍛冶の技術は、日本のコメ作りと同じくこの2千年ほどの間ほとんどその姿を変えずに受け継がれてきたものなのだそうです。

「もしひとつだけ道具を持って無人島に放り出されるとしたらどの道具を選びますか?」

サバイバル等の訓練を受けた人間にそう尋ねると、みなそろって「ナイフ」を選択するそうです。

人が生きるためのもっとも基本で重要なツール、それが刃物。





その昔、天災や戦乱、すべてを失った人達がまず頼りにしたのが村の鍛冶屋。

焼け跡から掘り出した鉄クズを持って鍛冶屋に行く。

人々はそこで作ってもらった包丁や鎌を使ってさらに多くの生活道具を生み出す。

そうやってみんな生きてきた。

人が生きていくために最低限必要な道具というのは火と材料とほんのちょっとの道具があれば驚くほど簡単な設備で作ることができるのだ、と、鍛冶屋の爺さんは言います。




便利な世の中です。

作れないものなんて無いんじゃないか?っていうくらい世の中にはモノが溢れかえり、作動原理も何も知らなくても金さえ出せばほとんどのモノが手に入り、使うことができる。

技術の技の字も知らない人間が「日本は技術大国・進んだ国だから・・・」と途上国を蔑み、胸を張る。






何でも手に入る便利な世の中。

それを支える膨大な技術群は近頃より複雑さを増し、専門化が進み、僕みたいなシロートがすべてを知り尽くすなんてことはほぼ不可能でしょう。

でも。

だからこそ。

その高度な技術群を生み出す元になったいろはの「い」、基本の「き」くらいはちゃんと知っておきたいと思うのです。





過去2千年に渡り、人々の生活を支え続けたこの技術について、少しでも知っておきたいと思ったのです。





どんな社会の下でも、どんな政治の下でも技術はかならず人を幸せにする。

中学を出てからずっと工業系の学校で、そこで出会った恩師に僕はそう教えられました。

株とか政治とかそういうものにはあまり興味は無いんですけど。

世の中を変えるとかそんなだいそれたコトが考えられるほど器のデカい人間でもないんですけど。

だからこそ、せめて自分の周囲の何人かを幸せにできる、そんな技術を持った人間でありたいと願うのです。

与えてもらうのではなく、与えてあげられる側になりたい。

技術のいろはの「い」くらいは押さえておける自分でありたいと願うのです。




じっと手を見る。

他人を傷つけてばかりだったこの手に、誰かを幸せにする力があるのだろうか?

それが知りたい。







さぁ、明日は何を作りましょうかね・・・


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